チェルノブイリへ行って色々見てきたという話 その2

2019年9月25日23時からスターチャンネルでドラマ『チェルノブイリ』の放送スタートということで、便乗更新です。ハイ。

本当に楽しみすぎて情報を追いかけっぱなしだったんですよ……。

私の場合はamazon prime videoでスターチャンネルの契約をして観る予定です。

 

さて、チェルノブイリへ行って色々見てきたという話 その1では、チェルノブイリ原発跡までの内容でしたが、今回は旧プリピャチ市内を散策した時の内容を紹介したいと思います。

チェルノブイリ原発跡までの内容はこちらからご覧ください。

 

チェルノブイリへ行って色々見てきたという話 その1

 

 

プリピャチ市のモニュメント

チェルノブイリ原発跡からプリピャチ中心部へはバスで移動しました。

乗車時間にして約10分。距離にして約5km。本当に至近距離です。

道中、モニュメント前で停車をして見学時間を取りました。

 

見学したとは言っても、道路上に『ПРИПЯАТЪ(PRIPYAT)』と『1970』の文字が刻まれた台座が置いてあるだけです。

原発事故が起きた1986年は有名ですが、プリピャチ市が設立されてから閉鎖されるまで、たった16年という短い期間でしかなかったことを示す碑でもあります。

 

このモニュメントの位置からプリピャチへと続く道を撮影したのがこちら。

延々と続く平坦な地面と森、その中をただただ真っ直ぐ伸びていくほとんど人の通らない道を見ていると妙な寂寥感を感じるのは私だけでしょうか。

同時に、許されるのならどこまで行けるのか自分の足で歩いてみたい欲求にも駆られます。(なお、ガイド無しでそんなことをした場合、警察に捕まっただけで済んだら良い方でしょう。)

 

プリピャチ市内へ

再びバスに乗り込み、プリピャチ市内へ。

打ち捨てられて廃墟と化した市内を歩いていくとエネルゲティック文化会館が姿を現しました。

人がいなくなってから約30年、廃墟が森に侵食されていく様を痛感させられます。

 

エネルゲティック文化会館へと続く道すがら、赤い木の実が生っていたのですが、これも当然のことながら持ち出し厳禁。

恐らくセイヨウサンザシの一種だと思うのですが、場所が場所だけに食べたり生薬として活用することもできません。

余談ですが、このセイヨウサンザシを使った密造薬品を飲んで何人も死ぬ事故が2016年末にロシア極東部を中心に発生していましたね。

 

また、廃墟の各地には不法侵入者が描いたと思われる落書きも散見されます。

その一つがこちら。

このような落書きが複数あり、ものによっては死角に描かれていたりするので、所見だと驚かされます。

 

エネルゲティック文化会館の中には壁一面に伝統文化の壁画が描かれていたのですが、これも少しずつ風化しているので、そのうち全て剥がれてしまうのでしょう。

 

Call of Duty 4: Modern Warfareをやったことがある方にはおなじみのこの観覧車も文化会館から眺めることができます。

 

そしてこの観覧車の真下にも行きました。

CoD4のマップはゲーム向けにかなり配置が改変されていることが分かる写真かと思います。

 

更にここで苔に近付いて放射線量も測定してみました。

何故こんなことをしたかというと、放射性降下物が雨などで窪みに溜まったところに苔が生えるので、線量が高い傾向にあるとの説明があったんですよ。

実際、苔は避けて歩くよう指示もありました。

もちろん安全は最優先なのですが、実際に計ったところ、0.71μSv/h。

原発跡の2.75μSv/h、私がこの旅行中に計測した4.81μSv/hよりも圧倒的に小さい値でした。

ざっくり計算ですが、この空間線量だけを見た場合には健康被害はほとんど無いとみていいかと思います。

こういったものは根拠無く怖がるよりも、数字で理解したほうが圧倒的に気が楽になりますね。

何をどうすればいいのか分からないことこそ本当に怖いことなので、把握できるリスクを必要以上に怖がってしまうのはよろしくないことなのではないと体感することができたのではないかと。

 

現地で撮影した動画もあるのですが、こちらは追々公開していきます。

 

次回はプリピャチ市内の居住区域について書いていきたいと思います。

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